南アフリカ共和国について

概要

19世紀から続いたイギリス植民地期、独立後のアパルトヘイトの実施と廃止など複雑な歴史を持つ南アメリカ。豊かな鉱物資源とその取引の仲介から成長した金融サービスを背景に、現在はアフリカでは屈指の経済大国となっています。

アフリカではナイジェリアに次ぐ経済規模

アメリカや日本、イギリスなどの先進国と比較し依然として格差はあるものの、アフリカ全体GDPの約15%を南アフリカが占めています(グラフ 1、グラフ 2)。
2014年4月のGDP再計算によりアフリカにおけるGDPはナイジェリアが最大となりましたが、アフリカでは唯一、GDPの65%前後をサービス産業が占めるなど先進国と並ぶ発展段階にあるとされており、「ブラック・ダイヤモンド」と呼ばれる黒人中間所得層の購買力が注目されています。

グラフ 1 先進国とアフリカの経済規模の比較(2013), IMF

グラフ 2 アフリカ全体GDP国別割合 (2014), 世銀

しかしながら、1994年~2007年にかけて年平均GDP成長率3.6%の安定成長を維持してきた南アフリカも、2013年は約1.9%で着地し成長には鈍化がみられます(グラフ 3)。また、鉱物資源の価格変動に大きく変動を受ける南アフリカ・ランドの為替変動は激しく、鉱物資源に依存しない経済構造への変革が急がれます。

グラフ 3 南アフリカの名目GDP及び実質GDP成長率の推移, IMF

豊富な天然資源と傑出したビジネス基盤

南アフリカの輸出の約60%は鉱山資源であり、豊富な天然資源によって経済成長が支えられてきたことは言うまでもありません(グラフ 4)。特に世界埋蔵量の約6割を占める白金属は、自動車の排気ガス浄化媒体や液晶画面・電子部品の原材料として世界的に需要が高まり、2001年以降急速に生産量の伸びを見せています。

グラフ 4 南アフリカ共和国の輸出主要品目(2013), JETRO

また、天然資源の開発を海外からのインフラ投資資金に多く依存する南アフリカは、その仲介にあたる金融部門が成長し、アフリカでは傑出したビジネス基盤を有する国となりました。近年では個人消費の拡大に伴い、銀行融資の拡大、金融サービスの充実が顕著になっています。

アパルトヘイトと南アフリカ

アパルトヘイト(人種隔離政策)は、イギリスから独立後の1991年に撤廃されました。
しかし、撤廃後もその影響は残り、人口の約80%を占める黒人の平均所得は白人の約1/6(グラフ 5)となっています。アパルトヘイト時代に黒人の教育環境が劣悪であり教育水準が低く企業に採用されにくいこと、黒人主体の与党ANCの支持母体でもある労働組合が非常に強力なため賃金上昇率が高く、企業側が新規雇用を抑制していることなどが要因として挙げられます。この人種間の大きな格差は、黒人の高い失業率・治安の悪化の原因にもなっています。

グラフ 5 人種別平均所得, Census2011

これに対し南アフリカ政府は、黒人の経済活動への参加を促進し所得・生活水準を向上させることを目的としたBEE法 を2004年に施行しました。企業に一定比率以上で黒人を参画させることを求め、事業免許交付や政府調達に際して、当該企業のBEEクライテリア達成度を考慮するという仕組みです。 企業からは、この法施行によるコスト上昇や経営効率の低下を招くと反発もありますが、法律に支えられた黒人層の所得水準の上昇が、南アフリカ全体の経済を押し上げてゆく可能性は高いと予想されています。

基本情報

国旗


データ

面積
122万平方キロメートル
(日本の約3.2倍)
人口
5,298万人
(2013年:世銀)
人口増加率
1.3%(2013年:世銀)
首都
プレトリア
通貨
ランド
民族
黒人(79%)、白人(9.6%)、カラード(混血)(8.9%)、アジア系(2.5%)
言語
英語、アフリカーンス語、バンツー諸語(ズールー語、ソト語ほか)の合計11が公用語
宗教
キリスト教(人口の約80%)、ヒンズー教、イスラム教

歴史

1652年
オランダ、ケープ植民地設立。
1910年
「南アフリカ連邦」独立。
1961年
英連邦から脱退し共和制移行(「南アフリカ共和国」成立)。
1991年
アパルトヘイト関連法の廃止。
1994年
初の全人種参加型の総選挙を実施。マンデラ政権成立。
1995年
全人種参加の地方選挙を実施。
1997年
新憲法発効。
1999年
総選挙実施、ムベキ大統領就任。
2004年
総選挙実施、ムベキ大統領再任。
2008年
ムベキ大統領辞任、モトランテ大統領就任。
2009年
総選挙実施。
2009年
ズマ大統領就任。
2014年
総選挙実施、ズマ大統領再任。

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