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人生考え始め世代の資産運用術(第一回)

祖母(86)の「貯金しておきなさい」と母(62)の「貯金しておきなさい」の大きな違い

ソーシャルレンディングとは、近年注目を浴びている新たな投資手法、資産運用手法です。日々、新たな資金の流れを探し求めるお客様からの問い合わせがあり、業界関係者もビジネスの仕組み作りに精力的に情報収集を行っています。
そのような金融業の先端を走るソーシャルレンディング業界にあって、海外投資を生業とするクラウドクレジットの「中の人」である著者が、現代日本における資産運用のあり方について、全3回にわたり、若干の考察を紹介していきます。

保守的な街で大切に育てられて

私は長野県の田舎町で生まれ育ちました。祖父が国鉄職員(祖母は専業主婦)で、両親が高校教諭という公務員家族(3世代同居)の厳しくも暖かな愛情と豊かな自然に育てられ、のびのびと成長いたしました。

地域と家族がら、とても保守的に可愛がって育てられたのだと知るのは大学進学を契機に東京に上京してからでしょうか。箱入り娘ならぬ箱入り息子としてのエピソードにはことかきません。

例えば忘れもしない小学3年生の夕暮れ。木登りに夢中になって帰宅時間を忘れ(時計などありませんし、携帯電話を持つなど遥か未来のアトムの世界の話だと思っていました)、19時ほどに帰宅した際には、一家・ご近所総出で捜索隊が結成される有様でした。自然、お金についても保守的で、お小遣いは全て用途まできっちりと記帳させられて、母に提出させられたことを覚えています。

そのような環境で育った人間が、金融業界の最前線でクロスボーダー・ソーシャルレンディングを事業とする会社に勤めているのは不思議なことですが、愛してやまない家族からの「信じた道を歩きなさい」との訓示のおかげだと感謝するばかりです。

さて、そのような私が敬愛し畏怖する家族からの訓えの中でも、一つだけ納得感が得られないものがあります。母(62)が言う「余ったお金はしっかりと貯金をしておきなさい」との言葉です。

私が実家に帰ると同様の言葉を祖母も言います。曰く「しっかりと貯金をしておくのだよ」と。奇妙なことではあるのですが、実はこの祖母からの言葉には納得感を得ることが出来るのです。私のこのモヤモヤとした気持ちはどこから生じてくるのでしょうか。

祖父母世代の預金とは余剰資金を確実に増やす手段であった

二人の尊敬する女性の言葉に対する私の受け取り方の違いは、彼女たちがそれぞれ生きた時代背景の相違に起因するように思います。祖母が労働世代として生き抜いた時代(ざっくりと60年代から80年代としましょう)、預金の代表である郵便貯金の定期預金金利(3年以上)はおおむね5-8%/年の金利が付いていました。
当然当時のGDP成長率やインフレ率等を踏まえた設定となっているのでしょうが、預けたお金が高いリターンとともに運用されていたのがこの時代です。
「最も成功した社会主義国」とも揶揄される日本ですが、高度経済成長を支え勤勉に労働を行っていた当時の世代でさえ、純然たる資本主義の原則どおり、資金が資金を生み出すという資本主義の果実を謳歌していました。祖母が言う「しっかりと貯金をしておくのだよ」の言葉の背景には、お金を銀行/あるいは郵便局に預けておくことが資産形成の確実な方法であるのだという肌感覚があるように思えてなりません。

「失われた20年」、日本人は資本主義を謳歌したか?

翻って母世代(これを90年代から2010年代を彼女たちの働き盛りの年齢と仮定します)。
こちらの世代の定期預金金利は当該時期を通じて一貫して低下していきます。同じく郵便貯金の定期預金金利(3年以上)の金利を見ると、1996年に1%/年を切って以来、二度と1%を越える水準に戻ることはありませんでした(2017年時点)。
母世代にとって預金とは金庫であり、ATM(手軽な換金性)でしかないのでしょう(そういえばこの時期にATMが爆発的に普及したことも日本人の預金活用観の変化によるものかもしれない、と都会に染まった偏屈な私は邪推します)。
現代日本で預金を資産運用手段としてとらえる人はほとんどいません。それでも、母が「余ったお金はしっかりと貯金をしておきなさい」という意味は、自身の親世代の言葉尻だけをとらえた惰性の結果なのか、それとも「宵越しの金は持たない」と資金引き出しを頻繁に行う必要性があるのか、、、いずれにせよ、私が母の言葉に納得感を持つことはなく、愛されて育ててもらった恩義も忘れた息子は「しっかりとお金の勉強した方がいいよ。ボケ防止にもなるし」などと冷たい言葉を母に浴びせてしまうのです。

次回「人生考え始め世代の資産運用術(第二回)~資産価値への投資と信用投資の絶対に交わらないリスク・リターンの考え方~」こうご期待。

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